スタッフ紹介

永野 文博(ながの ふみひろ)

出身地・・・山口県下関市
所持資格・・・柔道整復師

はじめまして!代表の永野文博です。
当院のページをご覧いただきありがとうございます!
あなたの大切なお身体を預けられる人間かを見極めていただくため私の自己紹介をさせてください!
まずは、私の保有する国が認めた国家資格免許(医師免許や看護師免許資格と同じ)です。

幼少期は元気一杯!

山口県の下関市に永野家の長男として生まれました。
私の幼少期は、一言で言うと「わんぱく小僧」でした。
決めた競技はあまりやっていなかったのですが、いつも外で遊び、真っ黒になって、自転車で何処へでも行く!
そんな昔ながらの活発な少年でした。

小学生時代

やんちゃ盛りなため怒られる毎日でした。

両親にあまりに叱られるため小学1年生で祖母の家に家出したこともありました。

小学1年生ながら5キロ先の祖母の家まで自転車を漕いで家出したことを今でも鮮明に覚えています。

高学年になりサッカーと出会いました。
今と違って細かい戦術はありませんでしたが打ち込んでいました。
ここでも真っ黒になるまで打ち込んでいました。

しかし肝心の通信簿では・・・
6年間先生からは
「落ち着きがありません・・・」と必ずコメントをいただきました。
先生との3者面談が嫌だったことを思い出します。

スラムダンクから始まったバスケット漬けの中学時代

小学校を卒業するときには身長が170センチありました。

中学1年生の時にやはり一番後ろのため、
バスケット部からすぐに声がかかりました。
でも、、、サッカー部に入りたいんですけど・・・
と先輩に伝えると、
「この学校にはサッカー部はないよ!」と言われ絶句。

当時は漫画「スラムダンク」が流行っていたので読んでバスケットを始めましたが当然のごとく地獄の練習日々を過ごしました。

地獄でしたが相変わらずスポーツには熱中できたため
山口県の優秀選手賞までもらいました・・・(ちょっと自慢)笑

高校へはバスケットで県内強豪校へ!

毎日強くなるための筋トレ、練習、練習、練習!!!

「水なんて飲んだら弱くなる!」という時代でしたので超スパルタな生活をしていました。

大学へもバスケットで 進学するものの・・・ 転機が、、、

大学へはバスケットで進学しました。
しかし、選手生命を終わらせてしまうケガを繰り返しました。(泣)

「どうやっても良くならない腰痛」
「痛くて走れない」
「でもなんとかしなきゃと隠して復帰してまたケガを繰り返す」
「積もり積もって靭帯損傷の大ケガ・・・」

この、競技を続けたくても続けられないケガをたくさん経験をしたことが私の治療家人生のスタートになりました。

 

専門学校でプロのトレーナーを目指す!

「自分のような人を減らしたい!」そう心に誓った私は、スポーツに関わりながら人の体を良くする仕事につきたいという思いが強くなりました。
そのため柔道整復師になる専門学校へ行き、プロのスポーツトレーナーを目指しました!

そして、、、
日本オリンピック協会医科学スタッフの仕事をしていた先生のもとで修行に励みました。

身体の痛みを治す知識と技術を人生で一番死ぬほど勉強しました。

そして3年後
念願の「日本オリンピック医科学スタッフ」に任命していただきました。
私は日本代表女子の体操競技を担当し、アジア選手権や日本選手権、NHK杯など様々な大会や合宿などに帯同させてもらい、たくさんの素晴らしい経験をさせていただきました!

そしてこの経験を私が今までお世話になった地域である浜松や磐田で還元したいと思い、このこの地で整骨院を開業する運びになりました。

開業して思うこと

「頑張ってる人をなんとかしたい!」という想いを汲んでくれたスタッフだけが患者さんの健康に携わる。
少数精鋭の素晴らしいスタッフと毎日切磋琢磨できて感謝ばかりの毎日です。

だからこそ、私たちは皆そろって「熱血」です!
でも、強要はしませんので安心してください。笑

「もう、どうしていいかわからない不調がある」

こうした患者様を私は救いたいと思っています。

ずっと健康でいたいあなたに、最高の治療を本気であなたと一緒に取り組み、最も大切な「自分の体を自分で治すことができるようになる」そんな接骨院を運営できることが私の役目です。
あなたに会えることを楽しみにしております。

斉藤 大輔(さいとう だいすけ)

出身地・・・静岡県磐田市
所持資格・・・アスレチックトレーナー

幼少期は元気一杯

静岡県の磐田市に斉藤家の長男として生まれました。
私の幼少期は、一言で言うと「やんちゃ小僧」でした。
いつも友達と外で遊び、真っ黒になって遊んでいました!
昔ながらの活発な少年でした。

小学生時代はキャプテン翼の影響で サッカーを始める!

外での遊びが好きでいつも友達と遊ぶことを考えていて、
勉強はあまりしませんでした!

アニメ「キャプテン翼」の影響で小学2年時にサッカーを友達と一緒に初めました。
そして、友達と夢中でサッカーボールを追いかけていました!
試合で勝った負けたで泣いていた時もありました(笑)

中学時代はさらにサッカーにのめり込む

中学校でも当然のことながらサッカー部に入り、毎日サッカーをしていました。
同学年の部員が11人しかいなくて大変でしたが、逆にチームワークが良かったです。
とはいうものの、弱小チームであるのでなかなか勝てずにいました。

最後の大会では、勝てば次のステージにいけるという試合でPK戦までもつれ込むところまでいったんですが・・・ 僕がPKを外して、無念の試合終了・・・
あの時のPKのボールの行方は今でも忘れられません!

高校時代はサッカーに転機が訪れる

高校でもサッカーを続け、朝練・通常の練習・練習後の自主練習で日々ボールを追いかけ走り回っていました。

将来は学校の先生になってサッカー部の監督になりたいという目標があったので、勉強も頑張っていました。
しかし、そんな矢先、部活で人生で最大の挫折をすることになります。

それは「喘息」になってサッカーができなくなってしまったからです。なので途中でサッカー部の選手からマネージャーに転向しました。
走れない、ダッシュができない、もちろん試合なんて出られない。
でもサッカーはしたい・・・

半年くらいはそんな状況で選手をやりましたが、2年生で「このまま選手でも試合に出れないし、他の部員に迷惑がかかる」と思い、選手からマネージャーに転向しました。

裏方の仕事で選手をサポート側に回り、サッカー部を支える仕事はとても大変でしたが、充実していました。
この経験が、スポーツトレーナーを目指すきっかけになりました。

大卒後、教師ではなくスポーツトレーナーに必要な 知識・技術を学ぶ

選手が「やりきった」「思い残すことはない」と言うくらい充実したプレーをしてほしい!との思いで毎日専門学校で勉強に励んでいました。

専門学校卒業後は、オリンピックの医科学スタッフの仕事をされていた先生の会社に入社し、様々なスポーツ現場で経験を積みました。

実際にプロトレーナーになって今思うこと

多くの選手・患者さんと接するうちに、スポーツ選手だけでなく、スポーツをしていない人も身体の悩みがあることを知りました。

私には「身体の悩みで自分のやりたいことが満足にできない」ことで悩んでいる目の前の患者さんを助けたい・サポートしたい、と言う想いがあります。

そして地元である磐田・浜松の人の健康に貢献し、みなさんが身体の悩みを解決し、自分のやりたいことを思い切ってやってほしい。

そして笑顔になって、明るい人生を送ってほしい。
このように思っています。

「身体の悩みがあり、自分のやりたいことが満足にできない」
このような患者様をサポートしたいと思っています。

あなたがもし、「身体の悩みがあり何とかしたい」と思っているのであれば、私たちが全力でサポートします。何かあれば相談してくださいね。